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下水道の歴史

更新日:2019年10月1日

下水道の歴史(世界)

 下水道の起源は、古くは紀元前まで遡ります。

 今から約4000年前、古代インドの都市(モヘンジョ・ダロ)に世界で初めての下水道ができたとされています。この下水道は、水を流すための溝や水を集めるための桝をレンガで作り、各家庭で使った水を溝や集水桝を通じて川へ流すというものでした。途中には沈殿池も作られていたことから世界初の下水処理設備とも言われています。その後、古代ローマや古代エジプトなどでも下水道が作られたとされています。

 中世に入り、ヨーロッパでは、人々はし尿を農業用の肥料として活用するようになり、農業の発展に繋がりました。その一方で、都市人口が増加するにつれ、汚物が道路上や溝に捨てられるようになったため、都市部の衛生環境は悪化し、ヨーロッパ全土でペスト(黒死病)と呼ばれる伝染病が大流行しました。

 これをうけ、パリ(フランス)では1370年から下水道が敷設されるようになりました。ロンドンでも下水道が作られ、雨水や汚水を下水道を通じて河川等に放流するようになりました。しかし、当時の下水道は処理施設を有しておらず、汚水を直接河川等に流していました。

 18世紀に入り、イギリスで産業革命が起こると都市部への人口集中は加速しました。さらに、工業化が進んだため、工場からの排水が多く発生しました。工場排水と家庭からの汚水により水質汚濁が進んだ結果、各地で伝染病(コレラ)が大流行し、多くの人々が亡くなりました。特に伝染病の被害の大きかったロンドン(イギリス)では、1855年に下水道工事に着手し、河川等に直接流していた汚水を下水道を通じて都市部よりも下流に流すようになりました。

 以降、ヨーロッパ各国やアメリカにおいても下水道の必要性が高まり、本格的な下水道が作られるようになりました。1914年には、アメリカ、イギリスで微生物を利用した下水処理法である活性汚泥法が開発され、今日と同じように各家庭や工場からの排水はきれいに浄化してから河川等に放流されるようになりました。 

世界の下水道年表
(古代) 
 紀元前5000年頃         メソポタミアの都市国家で排水溝が作られる。
 紀元前2000年頃 古代インドの都市(モヘンジョ・ダロ)で下水道が作られる。
 紀元前2000年頃 クレタ島の宮殿に腰掛け式水洗便所が作られる。
 紀元前600年頃 古代ローマで大下水道(クロアカ・マキシマ)が作られる。
(中世)  
 1350年頃  ヨーロッパ全体で伝染病(ペスト)が大流行する。
 1370年頃  パリ(フランス)に本格的な下水道が作られる。
(近世)  
 1760年頃 イギリスで産業革命が起こる。
 1810年頃 イギリスで水洗トイレの使用が始まる。
 1848年 ロンドン(イギリス)でコレラが大流行する。
 1858年 シカゴ(アメリカ)で下水道が作られる。
 1863年 ロンドン(イギリス)で下水道が作られる。
 1914年

 アメリカ、イギリスで活性汚泥法(微生物を利用した近代的な下水処理方式)が確立される。

参考  :   「下水道の歴史」(国土交通省)(http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html

          「海外における下水道の歴史」(国土交通省)(http://www.mlit.go.jp/crd/sewerage/rekishi/04.html) 

下水道の歴史(日本)

 日本における下水道の起源は、弥生時代(約2200年前)に遡ります。弥生時代には、稲作技術が伝わったことにより、大きな集落が形成されました。集落には、外敵から身を守るためだけではなく、用水と排水としての機能も兼ねた水路があったとされています。奈良時代(約1300年前)の平城京においては、大規模な道路側溝が計画的に作られたとされています。安土桃山時代には、豊臣秀吉によって大阪城の城下町に石積みの大きな下水溝(太閤下水)が作られました。この下水溝は改良をおこない、現在でも使用されています。近世に作られた下水溝が現在でも使用されている事例は他になく、大変珍しいものとされています。

 日本で初めて作られた汚水排除も含めた本格的な下水道は、1884(明治17)年に東京・神田地区に作られた神田下水で、日本初の下水処理場は1922(大正11)年に東京に完成した三河島処理場です。

 日本では古くからし尿を農業用の肥料として利用していたため、下水道の必要性が叫ばれるようになったのは明治時代に入ってからになります。

  明治時代になると、人々が東京などの都市部に集中するようになったため、大雨による宅内への浸水や低地に溜まった汚水が原因となって、明治17(1879)年には伝染病(コレラ)が流行しました。これをうけ、明治17(1884)年に日本ではじめて汚水排除も含めた近代的な下水道が東京・神田に作られました。明治33(1900)年には、土地を清潔にすること等を目的とした下水道法が制定され、その後の下水道事業に大きな影響を与えることとなります。

 しかし、昭和30(1955)年頃になると、都市部の更なる人口集中や産業の発展による工業排水の増加により、河川などの公共用水域の水質汚濁が問題となったため、再び下水道の必要性が高まりました。昭和45(1970)年には下水道法が改正され、下水道の目的に「公共用水域の水質保全」が追加されました。以降、本格的に下水道が整備されるようになり、下水道は清潔な生活やまちづくりだけでなく、公共用水域の水質保全という重要な役割を担うようになりました。

日本の下水道年表
 弥生時代         集落に用水と排水を兼ねた水路が作られる。 
 奈良時代 平城京に大規模な道路側溝が作られる。
 平安時代 日本初の水洗トイレである野玄式便所が高野山にできる。
 1583年頃 大阪の城下町に下水道(太閤下水)が作られる。
 1884(明治17)年 日本ではじめての汚水排除を含む下水道(神田下水)が東京にできる。
 1900(明治33)年 旧下水道法が制定される。
 1922(大正11)年 日本ではじめての下水処理場(三河島処理場)が東京にできる。
 1930(昭和5) 年 日本初の活性汚泥法による処理が名古屋で始まる。
 1958(昭和33)年 新下水道法が制定される。
 1970(昭和45)年 下水道法が改正され、下水道の目的に「公共用水域の水質保全」が追加される。

参考 : 「下水道の歴史」(国土交通省)(http://www.mlit.go.jp/crd/sewerage/rekishi/index.html) 

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