船頭(せんどう)

県営日原渡船(けんえい ひはら  とせん)

渡船ってなんだろう?

渡船というのは、川を(わた)って人や荷物(にもつ)を送り(とど)ける船のことです。
昔、木曽川(きそがわ)ぞいに住む人々にとって、船は大事な交通手段(こうつうしゅだん)でした。当時は橋がなかったため、川を渡るには船を使うしかなかったのです。
江戸時代(えどじだい)には川ぞいにたくさんの渡船場(とせんじょう)写真:渡船場つまり鉄道でいう駅のような場所があり、人々はそこから船に乗って、美濃(みの)津島(つしま)の間を行き来したり、食べ物や服を運んだりしていました。木曽川ぞいの渡船場は昭和40年ごろまでは、 地域(ちいき)交通の拠点(きょてん)としてにぎわっていました。しかし昭和44年に東海大橋(とうかいおおはし)ができ、人の行き来や荷物を運ぶために船を使う必要(ひつよう)がなくなると、渡船場の数はだんだん()っていきました。



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船頭ってどんなことをするの?

船頭の仕事は船を操縦(そうじゅう)して、お客さんや荷物を目的地まで運ぶことです。昔の船は木でできていて船を動かすモーターなどの力もなく、船頭が船をこぐ木の棒の()を手でこいで船を動かしていました。今のようにエンジンで動く機械船(きかいせん)が使われるようになったのは昭和32年からのこと。エンジンのおかげで櫓をこぐ必要はなくなりましたが、操縦に専門的(せんもんてき)知識(ちしき)操縦士(そうじゅうし)免許(めんきょ)必要(ひつよう)になりました。
写真:船と船頭「昔は、お米とか(かき)とか、いろんなものを渡船で運んだものだよ」と話してくれたのは、船頭の水谷さんと鷲野さんです。ふたりとも、船が手こぎだったころからずっと船頭の仕事をしているベテランです。「花よめさんを運んだこともあったよ。川向こうの岐阜県へおよめ入りする時は渡船を使うというのがあたりまえだったからね」。
今はみんな自動車や鉄道で運ぶようになりました。最近、日原渡船を利用したお客さんは、社会見学の子どもたちや()り目的のグループ、しじみ取りの家族連れなどです。
現在、愛西市には2かしょの渡船場があります。水谷さんと鷲野さんのいる県営日原渡船は全部で12名の船頭がいて、毎日、交代で出勤(しゅっきん)することになっています。
朝、出勤するとまず川の様子を見ます。(しお)()ち引きのため、船が動かせなくなることがあるためです。それからエンジンをかけて調子をチェックします。「いつでも船を出せるようにしておかないといけないから」と鷲野さん。仕事の時間は日の出から日没(にちぼつ)まで。暗くなると(あぶ)ないので船は出せなくなります。
職場(しょくば)はなんと言っても、川の上です。もしもの事故(じこ)が起きないように、利用者の安心と安全を心がけています。



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貴重(きちょう)な歴史の証人(しょうにん)として。

写真:第八塩田丸を操縦する船頭今、日原渡船で使われている船は「第八(だいはち)塩田丸(しおたまる)」と言います。この船はエンジン付きのため、操縦するためには「小型船舶操縦士(こがたせんぱくそうじゅうし)」という免許(めんきょ)が必要です。
日原渡船は、愛西市塩田町(しおたちょう)の渡船場と、岐阜県海津市(かいづし)海津町を結んでいます。愛知県側の船、つまり第八塩田丸が行くのは木曽川と長良川(ながらがわ)の間の(つつみ)である背割堤(せわりてい)まで。背割堤の向こうは長良川になるので、岐阜県側の(べつ) の船が運行します。料金は無料。決まった運行時間はありません。3月から10月までの間は午前8時から午後5時まで、11月から2月までの間は午前8時から午後4時30分まで(正午から午後1時は休憩(きゅうけい))、渡りたいという人がいれば、その場で渡してもらえます。ただし天気や潮の 状況(じょうきょう)によっては乗船(じょうせん)できない場合があります。行き先は背割堤までです。さらに長良川を渡って岐阜へ行くつもりなら、あらかじめ岐阜県側に予約を入れておかなければなりません。
江戸の昔より、近江商人(おうみしょうにん)(きぬ)を求めて行き交うなど、ずっと地域の交流(こうりゅう)発展(はってん)(にな)ってきた渡船ですが、今では全国でも貴重な存在(そんざい)となってしまいました。愛西市の歴史の生きた証人として、これからも元気で活躍(かつやく)してほしいものです。



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渡船の仕事についてもっと知りたい人・予約をする場合は

愛西市役所 立田庁舎(ちょうしゃ) 建設課(けんせつか)
愛西市石田町(いしだちょう)宮東(みやひがし)68
電話 0567-28-7278 ファックス 0567-28-0217
電子メール kensetu@city.aisai.lg.jp