ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

あしあと

    史跡・文化財等

    • 更新日:2023年11月13日

    横井也有

    横井也有石碑の写真

     横井也有は、18世紀江戸時代中期の俳人で、俳句の道に秀でた尾張の俳諧三老の一人でした。藤ヶ瀬地区には菩堤寺である西音寺があり、その門前には也有を偲んだ石碑が建てられています。
     また、平成16年5月に新築移転した「国民健康保険八開診療所」には、癒しの空間として横井也有の俳句に詠ってある木々等を使った庭園があります。

    佐屋海道址

    佐屋海道址の写真

     東海道のバイパスとして栄え、熱田と桑名を結ぶ船旅の脇街道となっていました。
     往時は社寺参りの人々や参勤交代の大名行列が通り、シーボルトや徳川家茂、明治天皇も利用しています。

    市江車「車田」址

    市江車「車田」址の写真

     市江車は尾張津島天王祭の朝祭で中心となって活躍します。
     そこで、津島天王を信仰していた尾張藩主より、車田という53石余の禄が与えられ、祭の山車や楽人等の費用にあてられました。
     この碑は、当時車田があった場所に建立されています。

    陽南寺

    陽南寺の写真

     赤蓮発祥の地として知られる寺。天保年間に住職の平野龍天が近江から赤蓮(レンコン)を伝え、植え付けたと伝えられています。

    丸島コロンブスの碑

    丸島コロンブスの碑の写真

     山田芳男の呼び名で、愛西市内には碑が建立されています。
     山田はラッコ漁中に遭難しましたが、アメリカの捕鯨船に助けられ、愛知県出身者として初めて渡米して事業を行いました。

    釜地蔵寺

    釜地蔵寺の写真

     約350年前に作られた、鋳鉄地蔵菩薩立像「釜地蔵」が安置されているお寺。
     県文化財にも指定され、尾張六地蔵の一つに数えられています。

    奥津社古墳

    奥津社古墳の写真

     奥津社は、4世紀中頃に築造された古墳といわれています。
     径は25mで高さが3.3mのこの古墳からは、弥生時代後期の土器や古式土師器等、貴重な品々が出土。
     中でも古鏡(三角縁神獣鏡)3面は、県文化財に指定されています。

    津田正生宅趾碑

    津田正生宅趾碑の写真

     根高町出身の江戸時代後期の文人。
     幼い頃から文学に励んで和漢の学問を就学し、戯作や随筆、地誌等、様々な分野の書を著しました。
     特に尾張の地名を解説した「尾張地名考」は広く知られています。

    十二城址

    十二城址の写真

     鎌倉時代に旧佐織町周辺を治めていたといわれる地頭、板垣冠者の居城址。
     現在は碑のみが残されています。

    複材くり船(諸桑の古船)

    複材くり船(諸桑の古船)の写真

     諸桑の古船は、日本最古出土の複材くり船です。
     見つかったのは江戸時代、諸桑村で村人が掘り出したもので、長さは20m以上、幅は約2mもある巨大な丸木船でした。
     現在も木片が残っています。

    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます